2019年12月13日金曜日

第10回  ティントレット:バロック時代の先駆者

マニエリスムはヴェネツィアへも波及していきました。

ティントレットはヴェネツィアの人。「染物師の息子」という意味のあだ名からきています。
「ミケランジェロの素描とティツィアーノの色彩」をモットーとしていたそうです。

本当に劇的な表現でただただ驚いてしまいます。


ティントレット スザンナと長老たち 
1550頃 ルーブル美術館


ティントレット 
聖マルコの遺体を盗み出すヴェネツィアの商人たち 
1562-64 ミラノ ブレラ美術館



ティントレット 銀河の起源 
1582頃 ロンドン・ナショナルギャラリー

ティントレット 最後の晩餐 
1592-94 サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂

<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>
Twitterもやっています。美術2新百合ヶ丘(@art2shinyuri)


<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>
下の共有ボタンが便利です。

2019年11月29日金曜日

第9回 チェッリーニとジャンボローニャ:彫刻のマニエリスム

彫刻のマニエリスムもあるのですね!

チェッリーニ、バッチョ・バンディネッリ、アンマナーティ、ジャンボローニャを紹介していただきました。

彫刻においてもミケランジェロはお手本になる存在。後世の彫刻家に多大な影響を与えました。
メディチ家礼拝堂
ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチの霊廟。
ミケランジェロの彫刻『夕暮』(en:Dusk)と『曙』(en:Dawn) の彫刻
1525-27


チェッリーニの「塩入れ」。ミケランジェロの彫刻のポーズ、使われています。
フランソワ一世の塩入れ(サリエラ)
チェッリーニ 1539-43
ウイーン美術史美術館
Kunsthistorisches Museum [CC BY 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)]

拡大図
画像は
Cstutz [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)]

ミケランジェロの影響がみられるアンマナーティ。ネプチューンの前にはミケランジェロの「あけぼの」のポーズに似ている像もあります。
アンマナーティ「ネプチューンの噴水」
1560-75
フィレンツェ シニョーリア広場
画像はG.Lanting [CC BY 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)]

フィレンツェ、ロッジャ・ディ・ランツィにあるペルセウス。
政治的に威嚇するために彫刻は使われていたそうです。これは「ブロンズ」でできています。
チェッリーニ 「ペルセウス」
1545-54 
ロッジャ・ディ・ランツィ、フィレンツェ
こちらは大理石。群像で、炎のよう。体がうねっています。
ジャンボローニャ「サビニの女の略奪」
1581-83
ロッジャ・ディ・ランツィ、フィレンツェ
No machine-readable author provided. Thermos assumed (based on copyright claims). [CC BY-SA 2.5 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)]
<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>

<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>

下の共有ボタンが便利です。

2019年11月22日金曜日

第8回 ヴァザーリ:宮廷芸術家の戦略

今回はルネサンス期美術の話で何度も耳にする「美術家列伝」を刊行したヴァザーリでした。
1554年からはコジモ大公のために働きます。ウフィツィ宮の造営も。

大変知的な存在の人で、「絵は読むもの」と考えていたそうです。

彼の絵画は「知的な人はここまで知っているぞ」という感じで ちょっと描き込みすぎ、と諸川先生がおっしゃっていました。

ミケランジェロやポントルモ、ロッソ・フィオレンティーノなどの「十字架降下」と比べてみてください。

ヴァザーリ キリストの十字架降下
1540頃 
カマルドり、サン・ドナート・エ・イラリアーノ聖堂

無原罪の御宿り
ルシファー、蛇、アダムとイヴなどいろいろ描かれています。これと
ムリョーリョの「無原罪の御宿り」と比較してみます。

ヴァザーリ 無原罪の御宿り
1541 ウフィツィ美術館

メディチ家を礼賛する天井画。コジモ1世が真ん中。

ヴァザーリ コジモ1世礼賛
1563-65 パラッツォ・ヴェッキオ
五百人大広間天井画


1563年に「アカデミア・デル・ディゼーニョ」という美術アカデミーを創立します。
モデルを使って描いてるのがわかります。ディゼーニョ という言葉は「素描」。素描を重視しました。
ヴァザーリ 聖母マリアを描く聖ルカ
1565 フィレンツェ ヴァザーリ美術館



ミケランジェロの墓。
 真ん中の像はミケランジェロで(素描)を意味しています。
下の3つの像は絵画、彫刻、建築の三姉妹を意味しています。

ヴァザーリ ミケランジェロの墓
画像はGiovanni DallOrto [Attribution]による
1570 フィレンツェ サンタ・クローチェ聖堂

<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>

<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>

下の共有ボタンが便利です。




2019年11月15日金曜日

第7回  ロッソ・フィオレンティーノ:フランスに流出した才能

赤(ロッソ)毛のフィレンツェ人というあだ名の人です。

初めはローマに居住し、パルミジャニーノやラファエッロ工房の画家と交流。ローマ劫略後は中部イタリアを彷徨、ベネツィアへ。ヴェネツィアのアレティーノの推薦で1530頃フランス王フランソワ1世の宮廷画家となり、フランスフォンテヌブロー宮で仕事をします。

フランス「フォンテーヌブロー派」はロッソ・フィオレンティーノなどフランス•フォンテーヌブローへ流出したイタリア人画家の影響でできた画家グループだそうです。


ロッソの作風。目のあたりは独特で子供はかわいい。

ロッソ・フィオレンツィーノ
玉座の聖母と四聖人
1518 ウフィツィ美術館


十字架降下。ポントルモと同時代です。二人ともミケランジェロの素描を見ており、
影響を受けています。
ミケランジェロの真似ではありますが、それぞれ独自のものになっています。。
ロッソ・フィオレンツィーノ
1521 十字架降下 ヴォルテッラ美術館

ミケランジェロ 十字架降下素描
1511頃
タイラース美術館 オランダ

システィーナ礼拝堂のボッチチェリのモーセ伝や筋肉美のミケランジェロの素描画「カッシナの戦い」に影響を受けたと思われる「エテロの娘たちを救うモーセ」。

ロッソ・フィオレンティーノ 
エテロの娘たちを救うモーセ
1523頃 ウフィツィ美術館


ミケランジェロ素描をもとにしたサンガッロの模写 
カッシナの戦い
ホウカムホール

ロッソはフォンテーヌブロー宮で働きます。
その後のフランスのフォンテーヌブロー派にはこのような絵があります。


狩りをするディアナ 作者不明
フォンテーヌブロー派
1550年代
ルーブル美術館

<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>

<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>

下の共有ボタンが便利です。

2019年11月8日金曜日

公開講座のお知らせ

11月22日、ヴァザーリの回、公開講座となっております。

この講座にご興味のある方 
お誘い合わせの上 どうぞご参加ください。

参加される場合 
資料もありますので 事務局まで お申し込みください。

資料代300円です。


2019年11月1日金曜日

第6回 ブロンズィーノ:君主に奉仕するマニエリスト

ブロンズィーノの絵は一度見たら忘れられない。「冷たい肖像画」、超絶技巧、と諸川先生がおっしゃっていました。

ウルビーノ公グイドバルド・デッラ・ローヴェレ
なで肩。(マニエリスムの肖像画はなで肩多いです!)
この人があの有名な「ウルビーノのヴィーナス」の注文者だそうです。

ウルビーノ公グイドバルド・デッラ・ローヴェレ
1532 フィレンツェ ピッティ美術館
ブロンズィーノ
コジモ1世 1545頃
ウフィツィ美術館
ブロンズィーノ

今 西洋美術館で開催中の「ハプスブルク展」で是非 昔のヨーロッパの甲冑も見てくださいとのこと。
*****

エレオノーラ・ディ・トレドと息子
1545頃 ウフィツィ美術館
ブロンズィーノ


部分拡大図

ブロンズィーノの描いた肖像画は本当に超絶技巧です。16世紀は画家の競争社会なので細かいところまで自分の技術を見せなくては、ということだそうです。

****

「蛇」はとてもマニエリスム的な形です。
ミケランジェロの「マニエラ」(手法)、システィーナ礼拝堂の青銅の蛇を参考にしているとわかります。

エレオノーラ・ディ・トレド礼拝堂 ヴェッキオ宮殿
青銅の蛇
1539-45頃 ブロンズィーノ

ミケランジェロ 青銅の蛇
システィーナ礼拝堂 1508

*****

愛の勝利の寓意(ヴィーナスの勝利)
1540-45頃
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
この絵はメディチ家からフランス王フランソワ一世へのプレゼント。

諸川先生も執筆しておられる河出書房新社西洋絵画解読辞典に絵の寓意の説明があります。紹介していただきました。

<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>

<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>

下の共有ボタンが便利です。


2019年10月25日金曜日

第5回パルミジャニーノ:ひたすら神秘を求めて

パルミジャニーノ(1503-1540)は「パルマハム」やチーズの「パルジャミーノ・レッジャーノ」で有名な イタリア「パルマ」出身です。だから「パルミジャニーノ」という名前なのだそう。 

パルミジャニーノは自分を売り込む作品を持って1524年にパルマからローマに行きます。
その時の作品ひとつがこちら。「オッ」と目を引きます。
32歳の時の自画像ですが若く描かれ、時間の歪み、空間の曲がり、が読み取れます。ローマで画家として採用されるためには目立たないとね、と諸川先生がおっしゃっていました。

パルミジャニーノ 1523-1524年頃
凸面鏡の自画像
ウイーン美術史美術館

パルマに戻ってからの作品、有名な「長い首の聖母」にはミケランジェロの影響、「アンテア」と同じモデルを使っていることがわかります。遠近法無視、左に十字架が描かれているツボ、右側の柱は未完成。

他にもたくさんの画像を見せていただきました。
パルミジャニーノ(1534–40)
ウフィツィ美術館、フィレンツェ

Stanislav Traykov, Niabot (cut out) [CC BY-SA 3.0 ]
ミケランジェロ ヴァティカンのピエタ
 1498年 - 1499年
サン・ピエトロ大聖堂

パルミジャニーノ アンテア
(1530-1535)
カポディモンテ美術館 ナポリ




<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>

<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>

下の共有ボタンが便利です。




2019年10月18日金曜日

第4回ポントルモ;憂鬱な時代に憂鬱な芸術家

「彼が気に入ったとき、気に入った人のためにしか、仕事をしなかった」(ヴァザーリ芸術家列伝より)、ポントルモについてのお話しでした。

ポントルモは デューラーの版画、ミケランジェロ、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂、ラファエッロなどもいろいろ見て参考にしているのですね。そして 素晴らしいデッサン!



ポントルモ キリストの十字架降下 1525-28
フィレンツェ サンタ・フェリチタ聖堂カッポリーニ家礼拝堂


Stanislav Traykov, Niabot (cut out) [CC BY-SA 3.0 ]
ミケランジェロ ヴァティカンのピエタ

「キリストの十字架降下」はミケランジェロのメディチ家礼拝堂の彫刻と関連性があると言われていますが、マリアとキリストは離れています。

システィーナ礼拝堂天井画とも関連あります。身につけている服がなぜかレオタードのような感じだったり。
不安をあおるような顔つき。
下書きでは描いていた「十字架降下のはしご」を省き、かわりに空いた空間に雲を描いています。

部分拡大。


*******

ポントルモ ご訪問
1528-29
church of San Michele Arcangelo in Carmignano, Tuscany, Italy.


ポントルモ 下書き
デューラー
四人の魔女 1497
ボッチチェリ 春
ウフィツィ美術館
1477年と1480年の間
<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>

<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>

下の共有ボタンが便利です。

2019年10月11日金曜日

第3回 ジュリオ・ロマーノ:ラファエッロの威光の影

 ジュリオ・ロマーノ という名前を知っている人は少ないのではないでしょうか。
ラファエッロの一番弟子だそうです。
師の未完作品「ボルゴの火災の間」など完成させています。

参考文献を紹介していただきました。
講座に参加すると よい資料を教えていただけますよ!

上村清雄 「 ラファエッロと ジュリオ・ロマーノ」 ありな書房


ジュリオ・ロマーノ 
ボルゴの火災の間
1514-17

Giulio Romano [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)]
神々と巨人族の戦い
1524-35頃
テ宮


ジュリオ・ロマーノ
神々と巨人族の戦い

<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>

<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>

下の共有ボタンが便利です。



2019年10月4日金曜日

第2回 ピエロ・ディ・コジモ:原始にもどった芸術家

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッスと同じ年代の「ピエロ・ディ・コジモ」を紹介していただきました。彼は盛期ルネッサンスの画家で、マニエリスムには入らないのですが、マニエリスムの画家の基礎にもなっているといえるそうです。

ピエロ・ディ・コジモについての人物評が記録に残っています。かなり変わった人だったようです。

彼の神話画が面白い。
人間にとっての文明を説明するのには神話画の方が便利だそうです。

「原始人類の物語」森の火事
アシュモレアン美術館 1500頃
フランチェスコ・デル・プリエーゼの注文か



部分拡大


ピエロ・ディ・コジモ
アンドロメダを救うペルセウス
1510前後 ウフィツィ美術館

部分拡大
異時同図法で読めます

部分拡大
目、石にならないように隠してます。



<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>

<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>

下の共有ボタンが便利です。




2019年9月27日金曜日

第1回 マニエリスム前夜:ミケランジェロとその時代


美術Ⅱ 19年後期講座 
多摩美術大学教授 諸川 春樹 先生による

「イタリア・ルネサンス美術の「奇想の系譜」-マニエリスムを楽しもう」
の講座が始まりました。


 今回はマニエリスムについての概説とミケランジェロについてでした。

「マニエリスム」は「ルネサンス」と「バロック」の谷間、宗教改革があった動乱、不安の時代の芸術です。
今回12回の講座リストで知っている芸術家は何人いましたか?
なじみのない名前も多かったことと思います。
これからの先生のお話が楽しみです。

* マニエリスムの特徴として、「蛇状形態」というものがあります。
ミケランジェロ 下に示した彫刻はルネサンス時代の「ダビデ」とは随分違っていますね。

ミケランジェロ
「メディチ家礼拝堂墓碑彫刻」1520-34

フィレンツェ、サン・ロレンツィオ聖堂メディチ礼拝堂
画像はRufus46 [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)]


ミケランジェロ
「フィレンツェのピエタ」1547-55頃
フィレンツェ、大聖堂付属美術館

<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>

<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>

下の共有ボタンが便利です。