2018年12月21日金曜日

第10回 パックス・ロマーナとキリスト教の広がり

今回は五賢帝時代のお話でした。

ローマ帝国は最大、平和な時代だったと言われています。
「ブリタニア」や「ダキア」が帝国に必要だった理由の説明もありました。

トラヤヌス帝金貨。
左から、トラヤヌス帝、ネルヴァ帝(養父)、マルクス・トラヤヌス(実父)
画像はClassical Numismatic Group, Inc. http://www.cngcoins.com [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html)

金貨を作っている様子。ポンペイ ヴェッティ邸壁画 79年に埋もれる。



ダキアを死守するために建造したトラヤヌス橋。その様子はローマ、「トラヤヌス帝記念柱(113年)」に残されています。「ダマスカスのアポロドーロス」という万能人が活躍しています。



トラヤヌス橋の場面
トラヤヌス記念柱より
服装の違いで異民族が登用されれているのがわかる。

復元図 

ハドリアヌス帝にはひげがあります。ヤマザキマリさんの漫画「テルマエ・ロマエ」にもひげの姿で登場しています。
ハドリアヌス帝半身像
カピトリーノ美術館
117-138

パンテオン(万神殿)はハドリアヌス帝によって全面的に改修され125年完成。
パンテオン
画像はKlausF [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html)による
パンテオンの形は完全な球が入る構造なのだそうです。

画像はderivative work: Cmglee [CC BY-SA 3.0 ]による

ハドリアヌス帝の別荘(ヴィッラアドリアーナ)ティヴォリ





twitterやっています。 
今回はtwitterにクリスマスプレゼントのリンクあります。
どうぞお楽しみください。
メリークリスマス!


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2018年12月14日金曜日

第9回 キリスト教の教義の整備

キリスト教の教義の元となるものはどこから来たのか、ギリシャ・ローマの創世神話、福音書の成立、イエスとはどんな人物かなど、お話がありました。

洗礼のもともとの意味と形、現在の儀礼について。
イタリア、ラヴェンナ、ネオニアーノ洗礼堂、バプテスマバス、5C
画像はSailko [CC BY-SA 3.0]
「浸礼」という全身洗礼の儀式の方法もあるのだそうです。水の中に押さえつけられ沈められる時間も結構長い。キリスト教徒として新しく生まれ変わるという意味があるそうです。

三位一体の図像について、これまであまり見たことのなかったものも紹介していただき、驚きました。
フィレンツェ、ヴェッキオ宮殿
エレノラ礼拝堂 天井
三つの顔の三位一体がみえる
Agnolo Bronzino、1540-1541
ネザーランド派、1500頃


三つの顔の三位一体、Cusco School
ペルー、リマ美術館、1750~1770

「ボヘミアン・ラプソディー」の映画が評判の「クイーン」のアルバムである、「ザ・ミラクル」のジャケット画像。4人の顔が重ねられ、印象深いものとなっています。ジャケットデザインに関わる誰かがこの図像を知っていた。また、キリスト教圏であればこの形の図像を思い起こす人もいるのではないか、という紹介がありました。

クイーン ザ・ミラクル 画像 ←リンク

三つの顔の図像はエジプト、ケルトなどほかの国々にもあり、日本の阿修羅像も関連があるようです。

「最後の晩餐」の画像、ミサ(聖餐式)の紹介、ホスティアの起源や奇跡の話もありました。

ホスティア(聖餅)
画像はPatnac [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html)

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2018年11月30日金曜日

第8回 多神教から一神教へ

今回は、ユダヤ民族による一神教の創立過程、その背景でのユダヤ民族が置かれた状況、キリスト教の成立過程を見ていきました。

ユダヤ民族の歴史が旧約聖書と関連があるとわかりました。

旧約聖書カインとアベルのお話は古代から続くユダヤ民族の抗争-農耕民族(カイン、周辺諸民族)と遊牧民族(アベル、ユダヤ民族)-の縮図でもあるようです。下地になった先行神話もあるそうです。

ヤン・ファン・アイク 
ゲントの祭壇画 1432
赤い〇を付けた部分の拡大図を下に示します。


ゲントの祭壇画
カインとアベル
ヤン・ファン・アイク 1432
ゲントの祭壇画
カインとアベルの捧げもの
ヤン・ファン・アイク 1432

バアル神、ウガリットで発見
紀元前15世紀末と13世紀初頭の間
ルーブル美術館
アシュタロテ;リンク;

バール信仰はユダヤ教やギリシャ神話に影響があったそうです。

バベルの塔は、ユダヤ民族を虐げた「新バビロニア帝国」(←画像リンクあり)の神殿ジックラトがモデルという考えもあり、中世では方形の塔で描かれているようです。
神の言葉に「我々」という表現があり、多神教の時代の流れがあると考えられるそうです。
ベッドフォードの時祷書
バベルの塔
1405年から1435年まで
フランスの作家(大英図書館蔵)
バベルの塔
ピーター・ブリューゲル(父)
1563
ウイーン美術史美術館

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2018年11月16日金曜日

第7回ローマの発展―巨大インフラの整備 :ふたつの政体―共和政と君主政

共和政からカエサルによる君主制の移行過程、帝政ローマの確立、インフラ整備などについてのお話がありました。

ローマ空港からほど近いオスティア・アンティカは大きな港町だったそうで「インスラ」という集合住宅の遺構が残っています。何階建てにもできたのは「アーチ構造」が作れたから。すごい人口密度だったそうです。

古代ローマの共同住宅インスラ復元模型
プラン真ん中ではなくて周りでロの字になっているところの小さな一部屋それぞれに一つの家族(家族人数は多い!)が住んでいたそうです。
http://www.ostia-antica.org/regio3/9/9.gif

ローマの道についても詳しい説明がありました。
ポンペイの道路


ギリシャ時代の像の複製が(ローマンコピー)多く作られたのですが、ブロンズでできた像は溶かされ、あまり残っていないということでした。

ローマ美術のアウグストゥス像等は 属州に配るため 多く作られたそうです。

プリマポルタのアウグストゥス
バチカン美術館

彩色されたレプリカ
バチカン美術館
画像はTomk2ski [CC BY-SA 4.0 ]による


また、彫刻には彩色がされていたそうです。

ローマの「コロッセオ」は中世では「大理石採石場」となり、教会建設の石として使われ、今の姿になってしまったとのことでした。コロッセオだけではなく、ヴェローナのアレーナなどの大理石も後に教会の建築材となったそうです。


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2018年11月4日日曜日

公開講座のお知らせ

11/30(金)

「じっくり学ぶ 西洋の美術と文化の歴史 ―中世の始まりまで」(美術Ⅱ)
多神教から一神教へ

講師  東京造形大学教授 池上 英洋

新百合21ホール
10時半〜12時

フェスタのオープン講座として公開いたします。受講資料代300円。

下記リンク先一番下に申込先あります。どうぞご参加ください。
申し込みが少し遅れても大丈夫のようですが 資料準備の都合上お早めに申し込みください。

また お知り合いの方もお誘いください。

https://kawasaki-ac.org/noauth_coursesp_contracts/new
他にも公開される講座もあります。月曜日に溝の口ノクティで酒井抱一が。

どうぞご参加ください。



2018年11月2日金曜日

第6回 ローマの形成―戦争と膨張: ローマの発展―巨大インフラの整備

古代ローマのお話から始まりました。

BC509, 王政から共和政に移行するきっかけとなったといわれる女性、「ルクレツィア」はその後「共和政のシンボルの画題」として描かれるようになったそうです。

ティツィアーノはルクレツィアの絵を描いています。ベネツィア共和国の時代です。

ティツィアーノ 1571
<タルクィニウスとルクレツィア>
フィッツ ウイリアムズ美術館



ローマの政治、戦争の様子、共和政ローマの発展、当時の住宅の様子、インフラの整備、などのお話がありました。

戦争の様子は浮き彫りなどに残っています。
映画「グラディエーター」は戦争の様子などできるだけ再現するよう撮影されているのでご興味のある方はご覧ください、ということでした。


トラヤヌス帝記念柱から
2c初頭

ローマのバリスタ
セゴビアの水道橋
写真:Jesusccastillo [CC BY-SA 3.0 es (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/es/deed.en)], ウィキメディア・コモンズより
ローマではアーチ構造が使われるようになりました。
ローマ水道は1000mに34センチの勾配だそうです。現在でも各地に残り、使われています。すごい技術ですね。
古代ローマの建築のすごさが感じられます。

(先生の画像と違いますが。)
アーチの作り方
画像は Di Morburre [CC BY-SA 3.0  による


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2018年10月26日金曜日

第5回  ギリシャ文明圏の成立とヘレニズム文化、ローマの形成過程をみる

まず、西洋建築の基本要素となったギリシャのオーダー(柱の装飾方法)を見ました。

ギリシャ神殿のオーダーは長い時間をかけて変化していきましたが それをローマは「一気に全部取り入れ」ました。

有名なローマのコロッセウム、三つの柱頭様式のすべてが使われています。一階はドーリス式、二階はイオニア式、三階と四階はコリント式の半柱。
ローマに行く機会があれば 確かめたいですね!(同伴者に説明すれば、尊敬されるかも!)

柱頭形状の説明図
百科全書より
 ローマ、コロッセウム
写真:Alessandroferri・CC BY-SA 4.0   

ギリシャ美術の壺絵の様式。 黒像式。細い槍の表現は技法的に難しいそうです。
画像を大きくしてご覧ください。

エクセーキアース 黒像式アンフォラ
将棋をするアキレウスとアイアース
BC550-530
ヴァチカン美術館

ベルリンの画家(attr.)
赤像式スタムノス
蛇を絞め殺す幼児ヘラクレス
前480-470
ルーブル美術館
**
アレクサンドロス大王とヘレニズム文化についても説明がありました。

マケドニア式のファランクス
アレクサンドロス三世は かの「アリストテレス」が家庭教師。
大帝国を築いたわけですが、文化をもたらすとともに相手からも学ぶ姿勢があったそうです。
ヘレニズムはギリシャと古代オリエントが融合した文化。
ギリシャ彫刻のアルカイック期、クラッシック期、ヘレニズム期のものを見せて頂きました。
また 、アレクサンドロスの東征以降に書かれたギリシャ神話には洪水のエピソードが書かれているそうです。(東征以前のホメロスやヘシオドスの話にはない。)メソポタミアも領土になりましたから伝わったのですね。
**

ローマの形成過程のお話で見せていただいたエトルリアのチェルヴェテリの遺跡の美しいお墓の装飾の画像をアップします。
 Triclinioの墓 壁面
BC470ごろ
イタリア タルクイーニアの考古学博物館
rilieviの墓内部の装飾
写真:Roberto Ferrari
 from Campogalliano (Modena), Italy • CC BY-SA 2.0
イタリア チェルヴェーテリ遺跡


エトルリアの夫婦の陶棺 チェルヴェーテリ出土
BC5C頃 ローマ、ヴィラ・ジュリア国立博物館
写真:Gerard M (at Dutch Wikipedia) • CC-BY-SA-3.0


上の夫婦の陶棺はルーブルのものとちょっと違って盃を持っているそうです。

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2018年10月19日金曜日

第4回 メソポタミアとエジプト、エーゲ文明。ギリシャ文明圏の成立

今回はシュメール神話とエジプト神話の世界観。
エーゲ文明の始まり。
ギリシャ社会の特質と大ギリシャの形成過程を見る、ということで いろいろなお話がありました。

見せていただいた画像のいくつかをアップします。
大地神ゲブと天空神ヌートを引きはがす大気神シュー
『死者の書』より BC950頃
大英博物館
『死者の書』より アンクと光輪
BC1300頃 アニのパピルス
〇とTの合わさった形は「アンク」といい、生命を意味しています。

各地の神話と聖書が似通っていると教えて頂き毎回驚いています。

今回は「聖母子像の原型」を見せて頂きました。
聖母子像の原型は人間の祈りとして「この姿形」を作りたくなってしまうとも思えます。(←私の感想)。

大英博物館 ウバイド文化期 BC5000 女神像(豊穣神)(授乳している)(←リンクしています。)

ボストン美術館 ホルスに授乳するイシス(←リンク)(この像の形はたくさんのこされています。)
ホルスに授乳するイシス、1070–656 B.C.
ボストン美術館


写実的で美しいネフェルティティ王妃の胸像と婿養子のツタンカーメンのマスクは同じエジプトで制作年代も近いのに表現の形がまったく異なります。その理由も説明していただきました。
ネフェルティティの胸像
ベルリン、新博物館


ツタンカーメンの黄金のマスク
エジプト考古学博物館
写真CC-BY-SA3.0  en:User:MykReeve

エーゲ文明。
カマレス土器 ミノア文明 2100-1700 B.C.
イラクリオン古代博物館
  CC BY-SA 3.0  
写真Wolfgang Sauber
カマレス土器 ミノア文明 2100-1700 B.C.
イラクリオン古代博物館
 CC BY-SA 3.0 
写真Wolfgang Sauber


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2018年10月12日金曜日

第3回 メソポタミアとエジプト―西洋文明の父と母、古代のひとびとの暮らしぶり

今回は古代における死の様相、文字と美術の始まり などについてお話がありました。

エジプトとメソポタミア、古代ローマ 、その他各地の弔いの方法、死後の復活の考えなどについて触れられました。

ウルのスタンダード
戦争の場面 BC2600頃
大英博物館
ウルのスタンダード
饗宴の場面 BC2600頃
大英博物館
ウルのスタンダードは実物は案外小さく、青い部分はラピスラズリだそうです。

テラコッタ(素焼き)製クラテール、
ギリシャ BC725頃 
メトロポリタン美術館
画像はMetropolitan Museum of Art
 [CC BY 2.5  (https://creativecommons.org/licenses/by/2.5)],
via Wikimedia Commonsによる

ヒエログリフの説明がありました。
先生にいただいたエジプトのヒエログリフの表を使ってご家族の名前を描いてみられましたか?

横浜ユーラシア文化館の楔形文字粘土板の解説のホームページリンク(←リンク)しておきます。

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2018年10月5日金曜日

第2回 西洋文明のはじまり―原始社会と定住

アトラトル(スピア・スロアー)。
この道具でマンモスを狩猟していたそうです。槍を使う道具ですが、これを使うと威力がでます。道具が発明され、集団化の中で知識や技術が伝搬していくのですね。
アトラトル
画像はA figura foi desenhada por Sebastião da Silva Vieira, que cedeu os direitos autorais para Messias S. Cavalcante.による

狩猟と農耕の集団化から都市ができていきました。
文明初期には強力な力を持った「リーダー」が登場し、その力を見せるために巨大な建造物が作られます。
シュメール文明、エジプト文明の始まりも見ていきました。

メソポタミア、初期王朝時代の日乾煉瓦で作られた巨大な「ジッグラト」(アッカド語で「高いところ」の意味)。
ウルのジッグラト復元図
バビロンのジッグラトは聖書での「バベルの塔」のモデルとなった建造物ともいわれています。
「バベルの塔」や「エデンの園」もメソポタミアに関係あるようです。

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