2019年11月29日金曜日

第9回 チェッリーニとジャンボローニャ:彫刻のマニエリスム

彫刻のマニエリスムもあるのですね!

チェッリーニ、バッチョ・バンディネッリ、アンマナーティ、ジャンボローニャを紹介していただきました。

彫刻においてもミケランジェロはお手本になる存在。後世の彫刻家に多大な影響を与えました。
メディチ家礼拝堂
ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチの霊廟。
ミケランジェロの彫刻『夕暮』(en:Dusk)と『曙』(en:Dawn) の彫刻
1525-27


チェッリーニの「塩入れ」。ミケランジェロの彫刻のポーズ、使われています。
フランソワ一世の塩入れ(サリエラ)
チェッリーニ 1539-43
ウイーン美術史美術館
Kunsthistorisches Museum [CC BY 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)]

拡大図
画像は
Cstutz [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)]

ミケランジェロの影響がみられるアンマナーティ。ネプチューンの前にはミケランジェロの「あけぼの」のポーズに似ている像もあります。
アンマナーティ「ネプチューンの噴水」
1560-75
フィレンツェ シニョーリア広場
画像はG.Lanting [CC BY 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)]

フィレンツェ、ロッジャ・ディ・ランツィにあるペルセウス。
政治的に威嚇するために彫刻は使われていたそうです。これは「ブロンズ」でできています。
チェッリーニ 「ペルセウス」
1545-54 
ロッジャ・ディ・ランツィ、フィレンツェ
こちらは大理石。群像で、炎のよう。体がうねっています。
ジャンボローニャ「サビニの女の略奪」
1581-83
ロッジャ・ディ・ランツィ、フィレンツェ
No machine-readable author provided. Thermos assumed (based on copyright claims). [CC BY-SA 2.5 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)]
<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>

<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>

下の共有ボタンが便利です。

2019年11月22日金曜日

第8回 ヴァザーリ:宮廷芸術家の戦略

今回はルネサンス期美術の話で何度も耳にする「美術家列伝」を刊行したヴァザーリでした。
1554年からはコジモ大公のために働きます。ウフィツィ宮の造営も。

大変知的な存在の人で、「絵は読むもの」と考えていたそうです。

彼の絵画は「知的な人はここまで知っているぞ」という感じで ちょっと描き込みすぎ、と諸川先生がおっしゃっていました。

ミケランジェロやポントルモ、ロッソ・フィオレンティーノなどの「十字架降下」と比べてみてください。

ヴァザーリ キリストの十字架降下
1540頃 
カマルドり、サン・ドナート・エ・イラリアーノ聖堂

無原罪の御宿り
ルシファー、蛇、アダムとイヴなどいろいろ描かれています。これと
ムリョーリョの「無原罪の御宿り」と比較してみます。

ヴァザーリ 無原罪の御宿り
1541 ウフィツィ美術館

メディチ家を礼賛する天井画。コジモ1世が真ん中。

ヴァザーリ コジモ1世礼賛
1563-65 パラッツォ・ヴェッキオ
五百人大広間天井画


1563年に「アカデミア・デル・ディゼーニョ」という美術アカデミーを創立します。
モデルを使って描いてるのがわかります。ディゼーニョ という言葉は「素描」。素描を重視しました。
ヴァザーリ 聖母マリアを描く聖ルカ
1565 フィレンツェ ヴァザーリ美術館



ミケランジェロの墓。
 真ん中の像はミケランジェロで(素描)を意味しています。
下の3つの像は絵画、彫刻、建築の三姉妹を意味しています。

ヴァザーリ ミケランジェロの墓
画像はGiovanni DallOrto [Attribution]による
1570 フィレンツェ サンタ・クローチェ聖堂

<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>

<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>

下の共有ボタンが便利です。




2019年11月15日金曜日

第7回  ロッソ・フィオレンティーノ:フランスに流出した才能

赤(ロッソ)毛のフィレンツェ人というあだ名の人です。

初めはローマに居住し、パルミジャニーノやラファエッロ工房の画家と交流。ローマ劫略後は中部イタリアを彷徨、ベネツィアへ。ヴェネツィアのアレティーノの推薦で1530頃フランス王フランソワ1世の宮廷画家となり、フランスフォンテヌブロー宮で仕事をします。

フランス「フォンテーヌブロー派」はロッソ・フィオレンティーノなどフランス•フォンテーヌブローへ流出したイタリア人画家の影響でできた画家グループだそうです。


ロッソの作風。目のあたりは独特で子供はかわいい。

ロッソ・フィオレンツィーノ
玉座の聖母と四聖人
1518 ウフィツィ美術館


十字架降下。ポントルモと同時代です。二人ともミケランジェロの素描を見ており、
影響を受けています。
ミケランジェロの真似ではありますが、それぞれ独自のものになっています。。
ロッソ・フィオレンツィーノ
1521 十字架降下 ヴォルテッラ美術館

ミケランジェロ 十字架降下素描
1511頃
タイラース美術館 オランダ

システィーナ礼拝堂のボッチチェリのモーセ伝や筋肉美のミケランジェロの素描画「カッシナの戦い」に影響を受けたと思われる「エテロの娘たちを救うモーセ」。

ロッソ・フィオレンティーノ 
エテロの娘たちを救うモーセ
1523頃 ウフィツィ美術館


ミケランジェロ素描をもとにしたサンガッロの模写 
カッシナの戦い
ホウカムホール

ロッソはフォンテーヌブロー宮で働きます。
その後のフランスのフォンテーヌブロー派にはこのような絵があります。


狩りをするディアナ 作者不明
フォンテーヌブロー派
1550年代
ルーブル美術館

<美術Ⅱ新百合ヶ丘・12回の西洋美術史講座を受講希望の方は、こちら(←リンク)>

<この講座を美術が大好きなお知り合いの方にどうぞご紹介ください。>

下の共有ボタンが便利です。