2026年10月23日金曜日

第3回  ラファエッロによる「ヘリオドロスの間」の装飾(1)

 松浦弘明先生の西洋美術史講座、今回は主に「ラファエッロの初期活動」 「ヘリオドロスの間」についてでした。

若きラファエロの目標は「師ペルジーノのように描くこと」でした。しかし彼は単なる模倣に留まらず、師を凌駕し、レオナルドを知ることによって新たな美を確立していきました。その過程を図像を見せていただきながらたどっていきました。


ラファエッロは師ペルジーノのように描きつつ それを超えようとしています

The Marriage of the Virgin, 1500-1504
ペルジーノ
聖母の結婚
1501-1504
カーン美術館

Raffaello Sanzio - Spozalizio (The Engagement of Virgin Mary) - WGA18623
ラファエッロ
聖母の結婚
1504
ブレラ美術館

ペルジーノが描いた時代(フィレンツェ)の『最後の晩餐』の構図は、その後レオナルドがミラノで手がけた『最後の晩餐』によって劇的な変化を遂げました。

当時、遠く離れたミラノの作品をラファエロが見にいったかどうかに関する記録は残っていませんが、ラファエロはどうにかしてその革新的な表現を学び取っていたと松浦先生はおっしゃっていました。実際に、レオナルドの『最後の晩餐』を踏まえてラファエロ自身が描こうとしていたデッサン(現存していない作品)も見せていただき、彼が単なる模倣に留まらず、レオナルドの手法を吸収しながら新しい形を模索していたことがよく分かりました。

Pietro Perugino cat21
ペルジーノ
最後の晩餐
1485 -1490
チェナコロ・ディ・フリーニョ(フリーニョ修道院食堂跡美術館)



レオナルド・ダ・ヴィンチ
最後の晩餐
1495年〜1498年頃
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(修道院食堂)

グループ分けされた人物の配置やエモーショナルな表情表現といったレオナルドの手法を深く消化したからこそ、のちの『アテネの学堂』における見事な群像表現へと結実したのだと感じます。

真ん中の一番いい位置に描かれている「プラトン」はレオナルドの顔だと言われています。

ラファエッロ
アテネの学堂
1510頃
署名の間 


ヘリオドロスの神話 およびユリウス2世が描かれていることなども説明していただきました。ドラマチックに描かれています。

Raphael, The Expulsion of Heliodorus from the Temple, 1511–1513, Stanza di Eliodoro, Raphael Rooms, Apostolic Palace, Vatican City
ラファエッロ
神殿から追放されるヘリオドロス
1513頃
ヘリオドロスの間 バチカン宮殿


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