2024年11月22日金曜日

第6回 フィレンツェ洗礼堂門扉装飾のためのコンクール

 松浦弘明先生の西洋美術史講座、今回は「フィレンツェ洗礼堂門扉装飾のためのコンクール」としてお話がありました。

まずどうしてコンクールが行われたのか?と説明がありました。

14世紀初頭ジョットによって絵画の革新があったわけなのですが、その後あまり絵画が変わっていかなかった。停滞していた。そのマンネリ化を打破する試みとしてフィレンツェ洗礼堂門扉装飾の「コンクール」が1401年に行われたとのこと。

ジョットとタッデオ・ガッティの作品の「金門での出会い」や「聖母子像」で比較してみます。タッデオ・ガッディはジョットの下で何十年も働いた人なのだそうです。ジョットの方が動きや感情がみられます。

ジョット
1305頃
金門での出会い
スクロヴェーニ礼拝堂



タッデオ・ガッディ
金門での出会い
1330頃
バロンチェッリ礼拝堂(サンタクローチェ教会内部)
Armin Kleiner, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

チマーブエ
サンタ・トリニタの聖母
1290頃
ウフィツィ美術館
ジヨット
1305-10頃
オンニサンティの聖母
ウフィツィ美術館
タッデオ・ガッティ
1355年
ウフィツィ美術館
サン・ルッカ―ゼ聖堂(ポッジボンシ、トスカーナ州)より

1401年フィレンツェ洗礼堂門扉装飾のコンクールが行われました。ギベルティとブルネレスキで「イサクの犠牲」が競われ、ギベルティが選ばれ、門扉装飾を委託されます。

フィレンツェ サン・ジョヴァンニ洗礼堂
Georges Jansoone, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons
ギベルティ
Armin Kleiner, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons
ブルネレスキ
Armin Kleiner, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

コンクールのギベルティの「イサクの犠牲」は相当に力の入った構成の彫刻に思えますが、実際にギベルティが門扉制作を委託されてから作り始めた「受胎告知」はすこし質が落ちているように思えませんか?と松浦先生。

ギベルティ 受胎告知
北門扉
I, Sailko, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons

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