松浦弘明先生の西洋美術史講座、今回は「フィレンツェ洗礼堂門扉装飾のためのコンクール」としてお話がありました。
まずどうしてコンクールが行われたのか?と説明がありました。
14世紀初頭ジョットによって絵画の革新があったわけなのですが、その後あまり絵画が変わっていかなかった。停滞していた。そのマンネリ化を打破する試みとしてフィレンツェ洗礼堂門扉装飾の「コンクール」が1401年に行われたとのこと。
ジョットとタッデオ・ガッティの作品の「金門での出会い」や「聖母子像」で比較してみます。タッデオ・ガッディはジョットの下で何十年も働いた人なのだそうです。ジョットの方が動きや感情がみられます。
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ジョット 1305頃 金門での出会い スクロヴェーニ礼拝堂 |
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タッデオ・ガッディ 金門での出会い 1330頃 バロンチェッリ礼拝堂(サンタクローチェ教会内部) Armin Kleiner, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons |
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チマーブエ サンタ・トリニタの聖母 1290頃 ウフィツィ美術館 |
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ジヨット 1305-10頃 オンニサンティの聖母 ウフィツィ美術館 |
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タッデオ・ガッティ 1355年 ウフィツィ美術館 サン・ルッカ―ゼ聖堂(ポッジボンシ、トスカーナ州)より |
1401年フィレンツェ洗礼堂門扉装飾のコンクールが行われました。ギベルティとブルネレスキで「イサクの犠牲」が競われ、ギベルティが選ばれ、門扉装飾を委託されます。
フィレンツェ サン・ジョヴァンニ洗礼堂 Georges Jansoone, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons |
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ギベルティ Armin Kleiner, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons |
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ブルネレスキ Armin Kleiner, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons |
コンクールのギベルティの「イサクの犠牲」は相当に力の入った構成の彫刻に思えますが、実際にギベルティが門扉制作を委託されてから作り始めた「受胎告知」はすこし質が落ちているように思えませんか?と松浦先生。
ギベルティ 受胎告知 北門扉 I, Sailko, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons |
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