池上英洋先生の西洋美術史講座、第3回。
人文主義のダンテとペトラルカを見る、ルネサンスの理念と生成理由を知る、そしてルネサンス美術の出現を見ていきました。
12世紀から14世紀にかけてまず政治が変わる→文学が変わる→美術が変わっていくという順番が見られるそうです。
かつて成功した二つの共和制(共和制ローマと古代ギリシア都市国家ポリス)は自由都市国家コムーネの手本となります。(政治)。その後文学や美術でも古代文化を再評価するようになっていくのです。
★ダンテとペトラルカ
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ドメニコ・ディ・ミケリーノ ダンテ (左に神曲 右にフィレンツェ) 1465 フィレンツェ大聖堂 |
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アルティキエロ 聖ゲオルギウスによる洗礼 フランチェスコ・ペトラルカの肖像部分 1376年ごろ パドヴァ サン・ジョルジョ祈祷所 |
★ペトラルカ「凱旋」はダンテの「神曲」についで当時よく読まれた書物なのだそうです。
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ロ・スケッジャ 1448 メトロポリタン美術館 |
★イスラム圏に伝えられていた知識や文化がこの時代再び紹介されます。
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プトレマイオス アルマゲストより 1496年制作 1515ヴェネツィアで刊行 |
ベッサリオンの聖なる十字架(聖遺物) 1460年代 ヴェネツィアアカデミア美術館(リンク)
★ローマ美術の取り込み方は例えばジャポニズムがヨーロッパ美術に取り込まれる過程とよく似ていて、
まずモチーフ→絵画にそのまま取り込む→自分のものにしていく といった形なのだそうです。
例を見せていただきました。
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コンスタンティヌス帝の凱旋門 4世紀 ローマ Diego Delso, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, ウィキメディア・コモンズ経由で |
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サンドロ・ボッチチェッリ 反逆者たちへの懲罰 1481-82 ヴァティカン システィーナ礼拝堂 |
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レオン・バッティスタ・アルベルティ <テンピオ・マラテスティーアのファサード> 1450着工 1468年に未完で中断 リミニ、テンピオマラテスティアーノ |
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