2018年11月16日金曜日

第7回ローマの発展―巨大インフラの整備 :ふたつの政体―共和政と君主政

共和政からカエサルによる君主制の移行過程、帝政ローマの確立、インフラ整備などについてのお話がありました。

ローマ空港からほど近いオスティア・アンティカは大きな港町だったそうで「インスラ」という集合住宅の遺構が残っています。何階建てにもできたのは「アーチ構造」が作れたから。すごい人口密度だったそうです。

古代ローマの共同住宅インスラ復元模型
プラン真ん中ではなくて周りでロの字になっているところの小さな一部屋それぞれに一つの家族(家族人数は多い!)が住んでいたそうです。
http://www.ostia-antica.org/regio3/9/9.gif

ローマの道についても詳しい説明がありました。
ポンペイの道路


ギリシャ時代の像の複製が(ローマンコピー)多く作られたのですが、ブロンズでできた像は溶かされ、あまり残っていないということでした。

ローマ美術のアウグストゥス像等は 属州に配るため 多く作られたそうです。

プリマポルタのアウグストゥス
バチカン美術館

彩色されたレプリカ
バチカン美術館
画像はTomk2ski [CC BY-SA 4.0 ]による


また、彫刻には彩色がされていたそうです。

ローマの「コロッセオ」は中世では「大理石採石場」となり、教会建設の石として使われ、今の姿になってしまったとのことでした。コロッセオだけではなく、ヴェローナのアレーナなどの大理石も後に教会の建築材となったそうです。


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